子供の教育において、教える先生の指導力の影響は非常に大きい。先生の指導力によって子供の学力に大きな差が出ることもある。最近、先生の質の問題が問われるようになってきたが、大変良いことだと思う。先生には、いろいろなタイプの先生がいる。教えっぱなしという先生、教えれば自分の役割は終わりという先生、子供が理解しようがしまいが関係なしという先生、担当の時間をやり過ごせばそれでよいという先生、子供への愛情の欠片さえ見えない先生などには、できることならお引き取り願いたいものだ。なぜなら、このような先生に指導を受けたのでは、学習効果が上がるわけはないからだ。では、どんな先生が良いのだろうか?やはり、子供の発達過程や能力、興味の対象などをよく見て、考えて上手に指導できる先生である。このような先生が多くなってほしい。
何もかも忘れて遊びに没頭できる子どもは、集中力がかなりあると思って間違いない。トランプ、ダイヤモンドゲーム、一輪車、ドッジボール、なわ飛び、どんな遊びでもよいから長い間できる子はよい。そのエネルギーが勉強に向かった時、素晴らしい結果になることは明らかである。頭をあまり使わない成績の悪い子どもは、まず例外なく、遊びを持続させることができない。頭の良い子の最後の条件、それは作文が上手に書けることだ。作文のことは前にもふれたが、自分の気持ちを、うまい文章でなくてもいいから素直に表現できる子どもは、勉強の方も心配ない。自分の考えを順序立てて表現できるということは、論理的に物事を考えられるということでもある。だから、自分の子どもは頭が良いか悪いかを確かめたかったら(現在の時点で、作文を書かせるのがいちばんだ。もし自分の子どもが、よくしゃべり、よく質問し、よく遊び、作文を書くのが好きだったら、間違いなく秀才だと思ってよいだろう。
子どもは日々成長しています。当たり前の話ですが、ここでいいたいのは脳が成長していることです。脳科学や記憶の心理学の世界でわかってきたことですが、人の記憶には二種類あるといわれています。一つ目は、「意味記憶」と呼ばれるものです。簡単にいえば、単純に記憶することです。ちょうど辞書のように記憶と意味が一対一の関係で、たとえば、ティッシュペーパーといえばこういうもの、カセットレコーダーといえばこういうもの、というように一対一で丸暗記ができるものです。もっとわかりやすくいえば、歴史年号で「明治維新=一八六八年」「鎌倉幕府成立=一一九二年」というように、意味を理解するのでなく、意味そのものを辞書的に頭に叩き込むのです。昔は語呂あわせも使われました。たとえば、「一一九二年」なら「いい国つくろう鎌倉幕府」といった具合に……。この意味記憶は成長とともに弱まりますが、ストックされた記憶によって脳の中に辞書がつくられます。頭の中に辞書として収納されるのです。この単純記憶辞書がないと、日常生活が非常に不便になります。この辞書は、子どものときに大部分かつくられるのです。というのは、子どものときのほうが単純記憶能力は優れているからです。昔覚えた単語の意味、たとえばティッシュペーパーの意味を忘れることはまずありません。これは、そういう記憶はしっかりと脳裏に焼きついている一つの証拠です。小さいころの意味記憶が優れている実例といえます。そして、このときに記憶され、脳に焼き込まれた記憶の辞書が成長後に理解力や思考力のベースとして、非常に重要な働きをするようになるのです。